しゃなしゃな京旅行日記
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2005年10月16日(日)、またまた姉と2人、女の会津旅行へ行ってきました!

本格的に会津へ行くのは小学校の修学旅行以来。3年くらい前にも友達と来たけど、
会津は鶴ヶ城をさら〜っと見て、あかべこ作ったんだ☆
今回は白虎隊と新選組がメインです。(またもや幕末っ)
充実した1日をトクとご覧あれ〜*

  

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日程

日記










  

日程10月16日(日)
7:00車で仙台を出発、高速道路で会津へ向かう

9:00会津若松市飯盛山到着
   旧滝沢本陣
   ↓
   戸ノ口堰、さざえ堂
   ↓
   白虎隊のお墓参り
   ↓
   白虎隊資料館
   ↓
   お土産買ってお昼ごはん

13:00新選組局長近藤勇、副長土方歳三の墓

13:30会津藩主松平家墓所

15:00鶴ヶ城

17:40斉藤一の墓

18:00帰路につく


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〜日記〜

 

●飯盛山
【旧滝沢本陣→戸ノ口堰洞穴、さざえ堂→白虎隊のお墓参り→白虎隊記念館→お土産、お昼ごはん】

6:00仙台出発!...のはずが、姉が1時間の大遅刻〜。7:00に出ました。
最近、2人で待ち合わせするとどちらかが大遅刻するのよね〜。(どちらかといえば私が...)
仙台宮城ICから東北道、磐越道を経て会津若松ICで降り、
まず向かったのは飯盛山。いわずと知れた白虎隊自刃の地です。
仙台からここまで約2時間半かかりました。近いもんだねぇ〜。

・旧滝沢本陣
飯盛山はいろいろ見所があるので、まずは麓の『
旧滝沢本陣』から攻めて行くことにした。
近くに市営の無料駐車場があって、そこから人の家の庭を通るような抜け道を抜けると
そこには『滝沢本陣』の旗が揺らめいていた。
朝一のためかお客さんは私たちだけ。入館料300円を払って陣の中を見学した。

旧滝沢本陣は、歴代会津藩主が江戸への参勤交代や、領内の巡視の際、
旅支度を整えるための休息所になっていた。
戊辰戦争のときは会津藩の本陣となり、藩主松平容保がここで白虎隊に戸ノ口原への出陣を命じ、
さらには土方歳三率いる新選組の進駐した所で、
歴代藩主松平家、白虎隊、新選組に関りのある建物だった。

茅葺屋根の建物で、広い土間といくつかの部屋、庭も綺麗に整えられていた。
昔からの住宅地の中にあるので、周りはとても静かだった。
ほんと縁側でごろ寝したい気分だったよ〜。
でも、御座の間には戊辰戦争の弾痕や刀傷の跡が生々しく残っていて、
戦いの凄さが伝わってきた。
ちなみに、トイレがちょっとツボだったv

※写真をクリックすると大きい画像が見れます。

本陣の横っ面

御座の間から見た庭

沢山の弾痕跡
大砲の破片が埋まる木

柱には刀傷の跡が...

トイレv

トイレの外側
済んだものは車付きの箱に落ちて捨てに行ける様になっていた

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・戸ノ口堰洞穴(とのぐちぜきどうけつ)、さざえ堂
旧滝沢本陣から数メートル歩くと飯盛山の本参堂に出た。
少し歩くと厳島神社があって、左手に戸ノ口堰洞穴が見えた。

ここは白虎隊が戸の口原の戦いに敗れて、引き上げてきたときに通った洞穴。
灌漑用の水路で、ジモティだった白虎隊はここを通って飯盛山に逃げてきた。
といっても結構な水量があって、傷ついた隊士達は冷たい水の中必死で歩いたんだろうなぁ。
若いのにほんっと苦労したんだなぁo(TヘTo)


厳島神社右手にある階段を上った所に『さざえ堂』が建っている。
見た目もちょっとかわっていて、名前の通りさざえに似てるからさざえ堂。安易だ...。
中は螺旋階段のようにスロープになっていて、ぐるぐる回りながら上がっていくと、
そのうち下りに変わって1度通った道は2度は通らない仕組みになっている。
こういう作りは日本で唯一、世界にも例が無いそうだ。

そんな珍しい建物入らないわけには行きませんっ。
入館料400円(だったかな?)払って入ってみました。
するとどうでしょう〜。
ぐるぐる上っていくと、いつの間にか下って、外に出ちゃいました〜。
構造は分かるけど、なかなか面白いね〜。
中のスロープは滑り止めがあるものの、スニーカーでも結構すべるからかなり注意。
壁に修学旅行生とかの落書きがいっぱいしてあってちょっと残念だったな。
あと古い建物だからおじいちゃん家の蔵のにおいがした(⌒_⌒;
一番驚いたのは非難器具!
一番てっぺんにはしごが設置してあって、その横にはおもむろにロープが置いてあった。
『そのはしごを上り、ロープをたらして逃げて下さい』と言わんばかりだったよ〜。
私だったらあのロープじゃ逃げれねぇな...。

※写真をクリックすると大きい画像が見れます。

飯盛山への本参道

戸ノ口堰洞穴
写真奥に洞穴が見える

厳島神社全景

階段下から見たさざえ堂

さざえ堂の横っ面

気になった看板

さざえ堂入口
こんなスロープがずっと続く

最上階

最上階から見た景色

非難器具...

出口にあった人
家のおっぴじいちゃんに
似てるの〜


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・白虎隊のお墓参り

さざえ堂を通り過ぎて新参道へ抜けると、白虎隊のお墓はもうすぐ。
周りにはぼちぼち観光客も増えてきた。
新参道は本参堂の坂道とは打って変わって階段ばっかり。
“スロープコンベア”なるものがあって、有料で楽に階段を突破できる。
お年を召した観光客には良いものらしい。
私達は本参堂方面から来たからこの階段地獄には直面しなくてすんだ。

参道を登りきったところは広場になっていて、到着したとたん
小学生のとき修学旅行で来た記憶がうっすらよみがえって来て、
とっても懐かしかった。
みんなで集合写真を撮った鳥っこの銅像なんか、思ってたより小さくなっていて、
(成長したな...自分)なーんて浸っちゃったよ(^-^;)

思い出に浸りつつ、白虎隊のお墓へ墓参り。50円でお線香の束が売ってたので購入。
白虎隊のお墓の手前に“会津藩殉難烈婦の碑”が建っていたので、こちらにもお線香。
戊辰戦争当時、女の人達も勇敢に戦ってそして亡くなっていったそうな。
私がその場にいたらちゃんと戦ってたのかなぁ?

お墓参りが済んだら、今度は白虎隊自刃の場所へ。
向かった先は墓地。その中腹位に自刃した場所があって、碑が立っていた。
ここからは鶴ヶ城が見える。白虎隊士の銅像は今も鶴ヶ城の方を見て建っていた。
自刃したのがお墓って言うのもなんだか思う所があってのことなのか...。
ほんと、10代の若い子達がねぇ。難儀なことだねぇ。(゜-Å) (すっかりおばちゃん心境)

※写真をクリックすると大きい画像が見れます。

本参道を上から見下ろす
左手が有料のスロープ

修学旅行で
集合写真撮った場所

会津藩殉難烈婦の碑

自刃した白虎隊士たちのお墓

山頂でっす。

自刃の地に立つ銅像
どこ見てるのかな〜?

おぉっ、鶴ヶ城だ!


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白虎隊記念館

本参道を下る中腹位に『白虎隊記念館』が建っている。近くに『白虎隊伝承史学館
というのもあったんだけど、帰り道だったから記念館に寄った。
ここには白虎隊をはじめ戊辰戦争関係の貴重な史料が沢山展示されていて、
係りの人が説明をしてくれるのでわかりやすかった。
2階にある白虎隊の解説アニメはかなりうけたっ ( ̄m ̄*)
絵の動きのなさ、展開の速さ、どれをとっても突っ込みどころ満載で楽しめたよv

記念館とはあまり関係ないんだけど、
白虎隊の通っていた日進館という学校で『什の掟(じゅうのおきて)』というのがあるんだけど、
この掟、好きなんだよね。

 一 年長者の言うことに背いてはなりませぬ
 二 年長者にはお辞儀をしなけれはばなりませぬ
 三 虚言を言うことはなりませぬ
 四 卑怯な振舞をしてはなりませぬ
 五 弱い者をいぢめてはなりませぬ
 六 戸外で物を食べてはなりませぬ
 七 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
 ならぬことはならぬものです。


この掟、人としての基本がしっかりつまってる感じがするのよね〜。
七は今の世の中、古い感じがするけれど、もし、自分の子供が出来たら
この掟、守らせたいよぉ。絶対、人をいじめたり、陥れたりするような子には育たないと思う。
あわよくば武士に育てたいっ。(コラコラ...)
『ならぬことはなりませぬ』って、そうだよね〜。

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お土産買ってお昼ごはん

本参道を下ったところにあるお土産屋さんで買い物をすることにした。
ここのおばちゃんが良い人で、お茶っ子やら漬物やらご馳走してくれて、
最後にお菓子もおまけで付けてくれたv
ついつい世間話までしてすっかり長居してしまった(^-^;)

駐車場に向かう途中に見つけたお店でお昼ご飯。
食べるなら会津蕎麦と決めていたので、ざるそばを注文。
あと、ここのお店はおもちが売りみたいなので、くるみもちを頼んだ。
蕎麦はコシがあって美味しかったし、くるみもちも餡があんまり甘くなくて(しょうゆ味?)
とーっても美味しかったよ〜。
ここでもお店に遊びに来ていた近所のおばちゃんと話しして、
飯盛山に住む人たちは気さくなんだあぁ〜と心から感激だった☆

飯盛山は今回の旅のNo1スポットでした!!

※写真をクリックすると大きい画像が見れます。

おみやげ〜
ミニ白虎刀、あかべこ、
起上りこぼし

お昼食べたお店

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●新選組局長近藤勇、副長土方歳三の墓
お腹もふくれた所で、次は新選組局長、近藤勇のお墓参り。
場所は天寧寺。看板が出ているのでその通り進んでいくと、細い細い道を登っていったところに
お寺発見!ちゃんと、『近藤勇の墓』ってたて看板がお墓まで続いてるので迷うことなし!
でも、ここのお寺、山の上にあって、近藤さんのお墓はさらに上のほう。
かるーく登山です。

このお墓は戊辰戦争のときに、近藤勇の死を知った土方歳三が自ら指揮して建てたお墓で、
遺髪が埋葬されてるとかいないとか。
隣には、土方さんお墓もあって、局長、副長と並んで会津の町を見下ろしているの。
今じゃ木が生い茂ってるけど、土方さんがこのお墓を立てたときはきっと鶴ヶ城が
よく見えたに違いないっ。
流石、土方さんのプロデュース!とても静かな所だったよ。

※写真をクリックすると大きい画像が見れます。

左が近藤さんのお墓
右が土方さんのお墓

しっかりと書かれてます

近藤さん辞世の句

木々の間から見える鶴ヶ城

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会津藩主松平家墓所
次のお墓参りは、会津藩主松平家の墓所〜。
新選組京都時代、京都守護職松平容保もここに眠っているのだ。
世が世なら、私みたいな平民は足を踏み入れられない所(?)だったんじゃないかしら〜。

さすがお殿様の墓所だけああって一山墓所です。
2代保科正経から9代松平容保までの墓があって、2代正経が仏式、
ほかは神式で葬られていた。他に藩主の亀趺の上に建つ碑石、
八角形の鎮石を乗せた墳墓等その荘厳な景観は大名家墓所の中でも特に優れているそう。

苔むした石の階段がずーと続いて、どんどん上る、そしてかなり滑るっ。
観光客も数人いたけど、かなり静かな所だった。
とにかく驚いたのがでっかい亀石とその上にさらにでっかい石が乗っかっていて、
それが何個も並んでいて、まさに圧巻っ。ほんとにでっかいんだよぉ〜。

ここは意外に凄く良い場所だった。飯盛山の次に良い場所だった!

※写真をクリックすると大きい画像が見れます。

墓所に向かう路地にある
立て看板

墓所の案内図

苔むした石階段
つるつる〜

遠くに人がいるんだけど...
わかるかな?このでかさ!

でっかい亀石

遠くにぞびえ建つのが墓石

松平容保のお墓

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●鶴ヶ城
いよいよ今回の旅のメイン、『鶴ヶ城』に到着。
2004年3月にリニューアルして、丁度「新選組!」の衣装、小物の展示をやっていた。
中は前回来たときよりも展示室が全体的に綺麗にわかりやすく展示されていて、
見ごたえはたっぷり!ゆっくり見て回ることが出来た。

お城を出たらすっかり夕方。の外は公園になっていて、犬さんぽをする人や、
カポー(カップル)がちらりほらり。
北海道の五稜郭行ったときも思ったけど、やっぱりお城のある町はいいよね〜。
仙台も青葉城再建してくれないかな??

※写真をクリックすると大きい画像が見れます。

鶴ヶ城〜

展示の案内いろいろ

巨大あかべこ

天守閣から見た飯盛山

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●新選組斉藤一の墓
本日ラストは新選組三番隊長斉藤一のお墓参り。
その前に、戊辰戦争の弾痕跡復元が残る長命寺の壁を拝見。
数年前までは本当に残ってたんだけど、あまりにも崩落が激しく、
壁を直したらし。でも、穴の位置とか忠実に再現してあるんだって。

斉藤さんのお墓はJR七日町駅前にある阿弥陀寺にあります。
着いた時にはもう真っ暗で、お墓参りどころじゃありまぇせん。
暗いお寺は怖いのですっ。とりあえず、お参りして写真撮らせてもらいました。
ここには鶴ヶ城にあった御三階という建物もあったんだけど、暗くて全然見えませんでした。

これで、会津1日旅行はおしまい☆
1日だけど、ゆったりと充実した1日を過ごせました。
時間が無くて行けなかった所はあるけど、それはまた次回のお楽しみということでv
幕末が好き!新選組が好き!城が好き!ゆったりした時間を過ごしたい!という人は
是非、会津に行ってみてね〜(^-^)



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